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全日本ラリー選手権参戦レポート

東日本ラリー選手権
第1戦 FRCマウンテンクロス2006

ドライバー参戦レポート

2006.4.22-23 FRCマウンテンクロス2006
場所:長野県伊那市周辺  距離:220km
天気:曇り  路面:オール鋪装、ドライ

長い、長い、長い、長~いシーズンオフが終わりました。今年は全日本選手権はダートイベントのみ参戦することに決めましたので、空いたところを東日本戦に出場することにしました。
全日本戦は4月の上旬、恒例の佐賀で鋪装の戦いが行われましたがそれには出場せず、この22~23日に長野県で行われた東日本選手権の開幕戦に出場してきました。 全日本選手権には6月の福島県で開催される『東京ラリー』から出場予定。マシンはランサーエボ7です。今回は練習車(&通勤車)のエボ3で出場することにしました。理由は・・鋪装のラリーは落ちるとダメージが・・・
22日朝4時半。飯田有希子、元ナビを迎えにまだ夜明け前の大宮に向かいました。5時過ぎ。関越自動車道に乗るとすぐ、サービスに来てくれるナビの旦那が一人寂しくワンボックスを運転してスタート会場に向かっているのを抜き去りました。レキは朝8時受付予定。はて??どれくらい時間かかるのかな?余裕があるなら圏央道から八王子ICに出て中央高速が安くて良い。でも・・・間に合わないと困るから、今日は長野道から中央に下りて行くか・・・
7時半。予定通り伊那ICを降りました。高速代6100円!「たっけ~!」スタート会場の伊那スキーリゾート駐車場に着くと、あれ??数台のエントラントが待っていますが、オフィシャルが1人もいません。「ん~、FRCって去年もオフィシャル少なかったよね?」ただ待つのも嫌なので、給油に行きました。そ、そこで我々はなんと!ナビ旦那に遭遇したのです!しかも「八王子から回ってきました。空いてましたよ」だと??高速代も全然安いジャンか!! なんと最初の規則書では8時受付予定だったのが、参加受理書を良く良く見れば、『レキ受付9時』って書いてあるし・・・すでに2006年ラリーはスタート前から踏んだり蹴ったりです。
昨年と同じ林道2本のレキを行い、再びスタート地点に戻ったのは15時。早速車検の準備、レーシングスーツに着替えて、車検。ここからマシンには手を触れられなくなります(パルクフェルメと言います)。そしてドライバーズミーティング、スタートとなります。次第に気分も高揚してきました。いよいよ2006シーズンの開幕だ~!!

第1ステージ
18時9分に我々はスタート。ゼッケン9です。第1ステージは、J林道の約8kmの上り1本、上でプールして逆走の下りを1本で終わりです。やはり全日本の走行距離に比べると短い気がします。
いよいよSS1のスタートが近づいてきました。さすがに2000ccターボ車クラス。みんなスタートは『プシュワ~~』とターボ音を響かせてのロケットスタートです。さて、1分前・・・30秒・・・10秒前・・・5、4、3、2、1、0 『ブブウ・・・』遅!!!!Sタイヤを履いているせいか、いつもの加速をしないようです。それにしても遅くね~???加速が悪いので、ついついコーナーの突っ込みで頑張ってしまいます。その時!!うわっ、やべ!!ブレーキペダルがスッコーンと床まで抜けました。「ブ、ブレーキが効かん!」叫びながらステアリングを左に切りつつアクセルオン。Sタイヤの特徴のスキール音を響かせながら、エボ3はコーナーのアウトへアウトへとはらみながらも曲がろうとします。「ええ~い!曲・が・れ~!」アウトぎりぎりまで行きながらも、なんとかクリア。2コーナー目で終わらなくて良かった~!しかしその後も加速は鈍く、自分では結構踏んでるつもりでも長い直線になると「前に進め~!」と叫びながらのドライビング。ゴールしてベストタイムを聞けば、なんと11秒も離されているではないですか!!何故??WHY??俺ってそんなに遅くなっちゃったのかな??ナビが追い打ちの一言・・「あたし2コーナーで、あ~もう終わった!って思った」・・・落ち込んだ・・・
とりあえずドライビングに精彩を欠くのは、最近の寝不足のせいであることにして、1時間の休憩時間は眠ることにしました。少しふて寝気味。でも眠った。
「上原さん。前が動いたよ」 おお、普段と異なる女性の優しい声で目が覚めるのは人生をやる気にさせるらしい。SS1のぶっちぎられたことなどすっかり過去の事とした私は、意気揚々とSS2スタートに向かいました。今度は得意な下り。さあ、かかってきなさい!田島さん!(昨年の東日本チャンピオンでSS1ベストのおじさん)しかし、どうもマシンに若干の不審を抱いた私は、ブースト計と水温計のメモリーをリセットしました。これでSS2でターボのブーストがどれくらいかかっていたか、水温はどれくらいで維持できていたのか?がわかります。
スタート!ん??やっぱり遅い!まあ、下りだからすぐにスピードは乗るのですが、ターボのパンチ力が無い気がしました。とは言っても、スタートしちゃったんだから仕方がない。とりあえずサービスまで戻って直してもらわなきゃ。
自分なりになかなか気合いの入った走りは出来たのですが、何ぶん加速が悪い。SS2はベストになんと20秒も離されました。ブースト計はピークが0.4・・・。何これ?サービスに向かう途中で数回フル加速してみましたが、ブーストピークは0。ずっと踏み込んでいればゆっくりゆっくり0.4まで上がるようです。「あ~あ、ターボ壊れてるよ」「サービスに連絡しておこうか・・」「はあ~・・・」

サービス地点では、シャフトの面々が心配そうに、ナビ旦那はビールで良い気分になりながら待っていました。約1時間のサービスの間、ずっとターボを直そうとみんなで作業していましたが、結局直らず。第2ステージもほぼノンターボの状態で走ることになりました。

第2ステージ
第2ステージは、第1ステージと全く同じ、約8kmの上り&下り。そしてK林道の上り10kmで終わりです。まずはさっきと同じJ林道。上りはさっきより頑張りました。でもタイムは落ちて、ベストに20秒負け。そして下り。もう気持ちは完走狙いしかありません。スピードが遅い分、ライン取りに神経を集中させて、最速ラインで走ります。
あと1kmくらいの地点で、前方に人影が見えました。エントラントのようです。SS中に刺さったり落ちたマシンのクルーは、後続の競技車にスピードを落とすように指示します。クルーは怪我がなく大丈夫という印に、「OK」マークを掲示するのが決まりです。そのエントラントも同じようにスピードを落とす指示を行っていました。
手にしているマークは・・・「SOS」でした!!!「SOSだ!」「ええっ???」フルブレーキして停車。ドアを開けて、「どうした?」「助けて!ドライバーが死んじゃう!助けて~!」かなり取り乱している様子。どうやら前ゼッケンのナビのようです。3年前の群馬の事故が頭を過ぎりました。ヘルメットを脱ぎ捨て、前方のコーナーにくっきり残ったブラックマークに向かいます。下を覗くと、約5m先に右前がぐっちゃり潰れたエボ8・・・あ~もったいねえ~などと考える間もなく、急な斜面を駆け下ります。
ドライバーの姿が見えてきました。フロントピラーが潰れて、ダッシュボードもかなり車内にせり出しているようです。「わかる?」動いた!「はい、わかります」「どこか痛い?」「いや、足が挟まって動けない」確かにダッシュボードとシートとハンドルで動けない状態です。「わかった。何とかするから待ってて」再び道に上がり、ナビ2人に指示。「意識あるし、今のところ心配しなくて良い。足が挟まれてて動けない様だから、後続車を止めて、救急車とレスキューの手配をお願いして!」再び斜面下へ。助手席側から乗り込み、ドライバーを詳細に観察。どうやら大きな怪我はなさそうです。足の状況も調べましたが、よくわかりません。少なくともハンドルとシートの間に太股が挟まれているのは確かな様です。その頃から続々と後続のクルーが救助に参加してくれました。数名がドアをヒンジから取り外し始めました。「2~3人手を貸して下さい。シートを下げてみましょう」車は頭を下にして約45度の斜面で木に引っかかっているので、運転席を後ろに下げるのも大変でした。なんとかレバーをつかんで、「せーの!」約10cmほど下がりました!少し足が動くようなスペースが出来たようです。まだハンドルが邪魔なので取り外すことにしました。「右足は動けるようになりました」「じゃあ、右足で踏ん張って左が抜けない?」「あ、抜けました!」よかった。ドライバー君は自力で助手席から脱出。斜面も自分の足で登れました。「じゃあ、オフィシャルの人!救急車まで運んで下さい!」すっかり現場を仕切っていた私。みなさん、すみません。災害や事故現場では、職業柄ついつい血が騒いでしまって・・・
ここでラリーは中止になってしまいました。まあ、仕方ないか。どうせ勝負になってないし・・・。山を下っていくと、救急車が停まって、ドライバー君を乗車させ、搬送先の病院を選定している所でした。職業柄、お節介にもマシンを降りて、救急隊に情報を提供しました。「伊那中央病院は今日は内科の医師なので診れないそうです」「伊南総合病院が受けてくれました」くそ!伊那中央!救急指定されてるなら外傷診れる当直医を雇え!伊南総合!ちゃんと診療しろよ!などと毒づきながら、「救命士さん!高エネルギー外傷を強調しといてね!ちゃんとCT撮影しろって・・」と言い残してゴールへ。ナビが一言。「いや~、上原さんって本当にお医者さんなんだ~」お、お前、今まで何だと思ってたんだ????

ゴール地点では我々を発見したエントラントが大騒ぎ・・・「上原さん!落ちたんじゃないんですか?」なんで? ナビ姫がまたも一言。「まあ、うちらのあたりが進行止めたってわかったら、普通は『また上原が落ちた』って噂になるよね」「俺は救助してたのに!」「どっちの確率が高いと思う?」「・・・・そう・・だな・・」
爆睡後、表彰式が始まりました。どうやら21台中11位らしいです。まあ、NAの割には頑張ったな・・・。表彰式は粛々と進んでいき、案の定我々のクラスはチャンプ田島さんが優勝。恒例の田島節を聞かされ、オフィシャルから「態度がでかいからタイヤ無し!」と最後通告をされています。ん?ということは、タイヤはじゃんけんか?少し気合いが入ってきたところで、「タイヤはオフィシャルの独断によりゼッケン9番!」何だよ!じゃんけんじゃ無いのか?9番?何やったんだろ?ん???9番?俺何番だっけ?「上原さん、呼ばれてるよ!」うちのナビ姫は実に良く出来たナビです。(女として良くできているかは旦那に聞いて下さい・・)こんな眠たい朝でも自分のゼッケンをちゃんと覚えているらしい!え?俺?「タイヤくれるんですか?」「みなさん、第2ステージの事故のことはお聞き及びと思います。あのとき、上原さんがいなければ私たちはもっと慌てていたと思います。彼のおかげで冷静に対応できましたので特別賞として是非賞品を進呈したいと思いました」とありがたいお言葉。特別な事はしてないのだけれど・・しかも一人では救助できなかっただろうし。。。でもみんなの気が変わらないうちにもらっておこう!「ありがとうございましたああ!」
特に、総合ベストでゴールした田島さんはきっと、タイヤ4本損した気になるだろうな・・・ということできちんとご挨拶はしておきました。タイヤはあげなかったけど・・。
こうして走りでは不完全燃焼だった2006初戦は終わり、なぜか山の中で仕事をしてタイヤを4本もゲットしました。これは幸先良いのか?悪いのか?

今回のラリー、特にクラッシュシーンに遭遇して思ったこと。みんな明らかにああいう場面に慣れていませんでした。自分たちが楽しんでいるラリーというモータースポーツは、時として今回のような事故が起こりうるものなのです。今回はたまたま軽症で済みましたが、あと数十cm潰れていたら・・・胸部や腹部を強打していたら・・・四肢がしびれていたら・・・などと考えると、エントラントはもう少し、初期対応を学習する必要があると痛感しました。「船頭多くして船、山に登る」では助かる命も失われる可能性があります。最初に現場で救助に入った人が初期リーダーとして行動する。意識の確認、負傷部位&負傷形態の確認、問題点の確認と対応が求められます。特に、負傷者に対しては頸椎(首の骨)を保護することが大前提なので、神経症状が無いことを確認するまでヘルメットを脱がせてはいけません!意識がない場合は脱がすのですが、この場合も一人がメットの中に手を入れて、頭部を保持しながらゆっくり外していきます。今回は私がリーダー役だったので、指示は的確に行ったつもりです。でも、いざ全身診察を行いつつ、初期治療をしようとしても、物が無さ過ぎます。頸椎固定具も無いので仕方なく自覚症状の無いことを確認してからメットは脱がせました。帰宅後早速、頸椎固定具と骨折部の固定具を購入しました。やはり医師として現場でもある程度対応できる道具を持って走ろう。そう考えさせられた、タイヤ4本でした。JMRCでラリーシリーズ参戦エントラントに講習会などを開催すれば良いのに・・・JRCAの小西さんにも考えてもらおう!受講していないクルーはポイントを与えない・・とか出来ないのかね??JAFは?

ということで、次は6月初旬の福島で開催される全日本第3戦「東京ラリー」です。その2週間後に東日本第2戦が秋田県で開催されます。今回のリベンジをするため、秋田には全日本用のエボ7で行こうと思っています。そしたらエボ3をナビ旦那に貸すことになりました。みなさん、今年も楽しんで走りましょう!

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